2010年10月14日木曜日

『だから、新書を読みなさい』──フォーマットでくくってしまうには無理がある

だから、新書を読みなさい』奧野宜之著(サンマーク出版 2009年9月刊)

 新書というのは、かなり玉石混交率が高いフォーマットである。そう、それはただ、フォーマットにすぎない。ただ、近年続々刊行される新書の傾向を見ていると、確かに、本書の著者が提唱しているような方法で「読む」ことも考えられる。

 しかし、本書にあるように、新書だけに限定してしまい、テーマで検索をかけ、新書を探すと、池田清彦氏の『新しい生物学の教科書』(新潮文庫)を形式で、斎藤兆史氏の『努力論』(ちくま新書)をテーマで落としてしまう恐れがある。どちらも、すぐれた新書に見られる特質を持った本である。

 また、熊野純彦編著『日本哲学小史』(中公新書)や、清水幾太郎『論文の書き方』(岩波新書)のような深い内容の本は、とても「喫茶店でザッピング」というわけにはいかない。

 そういうものを、すべて、「新書」という枠のなかに取り込み、その扱いについて、ひとくくりになにか言ってしまうことにはかなり無理がある。

 それでも、「あえて」、本書を買ったのは、いささか皮肉ながら、「新書よりも軽い」「軽くザッピングできそうな」本書の、装丁も含めたフットワークに、なにか新しさを感じたからである。

 情報収集の道具として新書を使うという方法は、まともな読書家なら当然なことばかりであるが、この著者ならではの方法といえば、『カレンダー世界史』や『20世紀理科年表』などを、「レファレンス」として使うというところであろうか。なるほど、こうした使い方なら、新書は、辞典より軽いし、気軽に書き込みもできる。

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