『荒地 』(T・S・エリオット著、岩崎宗治訳 2010年8月刊、岩波文庫)
日本の「現代詩」は、いわゆる「荒地派」から始まったが、この「荒地派」は当然、T・S・エリオットの『荒地』に影響を受けて、第2次大戦後、詩人として出発した人たちである。ところが、彼らが読んだエリオットの当のThe Wast Landの翻訳は、第1の詩の、The Burial of the deadのみであった。
これは、われわれもよく知るところの、「四月は残酷な月……」という感傷的なフレーズで始まる第1部だけだった──。それを、終戦後の、古い価値観が壊れ、ある種の虚無に支配された時代のなかで、いわば、「我田引水的に」読解した──。
いまの日本の「現代詩」と言われる出発点は、そういう皮肉な背景を持っている。評論家の加藤周一はそのあたりの「誤読」を認識して憂えてもいたらしい。
本書の翻訳は、その出発点としてのエリオットをもう一度見直すよい機会を与えてくれる。訳者、岩崎宗治は、長年エリオットの研究をされてきた学者だが、「現代詩界」では、名前が知られているとは言えない。こうした乖離は、本書の「あとがき」等からもうかがえる。
エリオットの、The Waste Landとは、アーサー王伝説のパロディであり、そのなかに登場する、「荒廃国」が、Waste Landなのである。この詩は、ジョイスの『ユリシーズ』の向こうを張って書かれたのであり、ドイツ語、フランス語が入り交じる多言語のテクストである。テクスト意識として、近いと思われるのは、ドナルド・バーセルミの『王』である。
「ほんとうはお茶目な」The Waste Land(『荒地』という訳もいかにも感傷的であるが、すでに定着しているので、ダンテの『神曲』のように、今更べつの訳にするわけにもいかないのだろう)の、より作者の意図に近い訳がやっとでたという感じだ。
本書の注釈と解説は、岩崎氏の研究の精髄がたっぷり盛り込まれていて、文庫本ながら、分厚い研究書にも匹敵するほどの情報量である。
ただ、いまの日本の「現代詩界」とのスタンスのとり方が甘い。