2010年9月21日火曜日

『恋』──日本の長編にありがちな枚数稼ぎの「情痴小説」

 『恋』小池真理子(新潮文庫)
 
 
 かなりの長さで、物語が破綻なく書かれてはある。一見「力作」である。しかし、これを外国語、たとえば、英語やフランス語に翻訳し、世界に出せるか? 出したら、たんなる三文小説だろう。日本の長編小説にありがちなパターンであるが、無駄な描写でいたずらに枚数を稼いでいる感がある。本作は400字詰め原稿用紙に換算して1000枚ほどだと思うが、「情報量」は100枚程度のものである。 

 どの登場人物も、「物語」を語るための「道具」でしかなく、実際に生きている感じがしないし、共感もできない。本作をミステリーとして引っ張っていくサスペンス=「秘密」は、最後まで意味ありげなのであるが、その「秘密」は意外でもなんでもなく、誰でも予想のつく凡庸なものである。 

 70年時代とその時代を生きた人々を題材にしたということであれば、藤原伊織の『テロリストのパラソル』の方が、文学としてリアリティがある。 
  
 「浅間山荘事件」が時代背景としてあり、まるで関係あるかのように書き始められているが、あの「歴史的な事件」について、たとえフィクションでもなにか作者なりの見方があるのか、そういう興味で読み進んでいったが、結局、それは、「アクセサリー」にすぎなかった。作者がその世代に属し、それに拘りたいのだろうが、実際には、そこまで踏み込んでいない。ただ、これを情痴小説と見れば、それなりの鑑賞には耐えうる。 


0 件のコメント:

行わけ詩?

ボルヘスは、詩の内実は、リズムだと言っている。そういうとき、行わけが必要になるんです。自分は、T.S.エリオットから詩を学んでいるんで、日本の詩人のみなさんが、散文がどうこう、行わけがどうこうと、侃々諤々している意味がまったくわかりません。だいたい、この分類は、間違っている、散...