樹木希林を除いて、本作の登場人物は、どれも抽象的である。いかにも「現代日本の地方に生きる若者の孤独」を描いたかのようでありながら、それは、ニュースや、それこそ、ネットで「見たかのような」図である。それぞれの俳優が、いかに、悲しみを表現しようと、それはひとつの「典型」にすぎなくて、リアルなものはなにもない。
というのも、リアルとは、その人にしか持ち得ない、その人の肉体でしか説明できないなにかであるからだ。
ここにあるのは、ただの風俗である。それも、風俗という名の抽象でしかない。それにかろうじて実態を与えているのは、俳優、樹木希林の存在である。この人は、いかなる抽象をも拒む肉体を持っている。それは俳優としての資質である。この人のように、まず抽象を拒むことから作品というのは始まるのである。
深津絵里が、カナダの映画祭で賞をとったそうであるが、やはり抽象であることに変わりはない(むしろ賞は、樹木希林に与えられるべきであったであろう)。こういう実態のない人物を演じていて気持ち悪くならないのだろうか?
だいたいが、原作の吉田修一自体が、そういう「典型としての風俗」を描く作家である。ここには、車谷長吉が達したような「地獄」は見あたらず、どんな事件が起きても人は心を動かされない。
2010年9月14日火曜日
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